頭を撫でるゾロサン

ピントはずれの時間



 乾いた音が響いた。サンジは胸の辺りで両手を上げて、訝しげにこちらを見るゾロに眉を顰める。フランキーの放置した角材に腰かけたゾロの目の位置は、サンジよりだいぶ下にあり、こちらを見上げてのその表情は凶悪さが一層増していた。
 ゾロとサンジは仲が悪い。傍目から見た二人はまさに犬猿。それは誰に聞いても十中八九明らかな事実。残りの一から二は、能天気な船長の目にだけ「あいつら仲いいじゃねーか」と言えるくらいに映っているというもの。口を開けば啀み合う。そんな二人のどこが仲良く見えたかなんて、船長にしかわからないことなのである。大半は二人を“水と油”扱いした。
 しかし実際のところ、サンジはそんなにゾロを嫌ってはいない。仲間として云々ももちろんあるが、人生の重きを色恋としたとき、ゾロはまだまだ赤子のようなものだとサンジは思っているからである。なるほどストイックさが全面に押し出されているあの剣士は色恋に免疫なんてなく、いつか突然あいつが誰かに恋した日には、自分が味方になって手ほどきしてやんなきゃなんねェと思うくらいには、サンジはゾロに対して好意を持っている。ひどく単純ではあるが、一種の兄貴風のようなものだ。
 さて、ここで冒頭に戻る。こちらを見上げる凶悪な相貌に、サンジはハテナマークを浮かべた。ぴりぴりと擦れた痛みを右手の甲に感じ、いつものような罵倒が口から出かかる。それを止めたのは、数時間前のウソップとフランキーの会話だった。


“相手がナミじゃ、ゾロも諦めるしかねーよな”
“あァ、まァ仕方ねェだろ”
“バカだよな。何も仲間じゃなくたってよぉ”
“言ってやるな。惚れるってェなァそーいうことだ”


 察するに、ウソップにバカ呼ばわりされているゾロは、あの女神のようなナミさんに恋をしている。しかし二人の会話の温度から言って、ナミさんにその気はなく、ゾロがフラれる可能性を示唆していた。いや、もうすでにフラれていたからあんな会話だったのかもしれない。サンジの結論はそれに行き着き、途端、恋愛のレの字も知らなそうなあの緑藻植物が可哀想になってきた。あぁわかるぜ。おれも何度ナミさんに恋したか知れねェ。高嶺の花だなんてこたァ百も承知だ。だが男なら、一度は彼女に恋せずにはいられない。ゾロに対する大きな同情心と、あいつも人並みの感情を持っているんだというわけのわからない安堵感がサンジの胸を覆う。そしてそれが、この手の痛みを引き起こした。
「なんだてめェ」
 相変わらず凶悪である。それにプラスされ、多少の驚きはあるものの地の底から聞こえるような怒気。サンジは一歩後ずさるが、何のために行動を起こしたのかと己を奮い立てて、ゾロとの対峙を試みた。
「てめェの気持ちは良くわかる。だからこそだ」
「あ?」
「喋るなマリモ。もういい。てめェは十分頑張った」
 サンジの精一杯の優しさだった。ゾロの前に手を翳し、おまえはもう何も言うなと促す。そして一寸前に手を叩かれる原因となった行動をもう一度。ゾロの頭をさくりと撫で、ついでに言うならグッと肩を抱いてやった。それに対するゾロの反射もやはり見事な物で、先ほど同様やめさせるべく手が出る。だがサンジは今度こそその手を躱し、ゾロの頭を撫でることをやめない。
「てめ、」
「黙ってろって言ってんだろ」
 いやに真摯なサンジの表情に、ゾロは喉を詰まらせた。僅かに口を開けたまま硬直しているようにも見える。大人しくなったゾロの頭を、サンジはぐりぐりと強く撫でた。


「なにやってんの、あれ」
 甲板の端っこで繰り広げられる見るに堪えない光景に、ナミの表情は曇る。先ほどからその場に居さえすれ、視界に入れることを拒んでいたウソップに声をかけた。
「ねぇ」
「知らねェ」
「どうしたのあれ。なんなのあれ」
「知らねェって言ってんだろ」
 ウソップの視線は己の手元の釣竿に吸い寄せられている。後方にいるゾロとサンジどころか、ナミのことも見ていない。チラリとでも振り返ることを拒否しているのだろう。ナミのため息と、ぶつぶつ不満を漏らす声が耳に入ろうとも。
「台無しじゃない。計画全部」
 微かだが舌打ちが聞こえた。諦めたようにその場を去っていく足音に、ピンと正されたウソップの背筋が緩む。ひどく厄介な場面に居合わせた。ナミの機嫌は今朝に比べて急降下だろう。せっかくのおもちゃが、自分の意図しないところでおもちゃ箱に戻ってしまったのだから。朝食前の甲板で交わされていたゾロとナミの会話を思い出して、ウソップは一度だけ、背後の二人を振り返る。


“あんた、サンジくんばっか見てるわね”
“‥‥‥‥‥”
“黙ってるってことは図星?”


 今ゾロの頭を撫でているサンジは一体何を考えているのか。満足そうに微笑んでいたナミと、目を逸らしたゾロの顔が脳裏を過った。





りおさんにお題提供してもらった!
おだい:ゾロの頭なでなでするサンジ